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2011年04月07日

旧落石無線電信局 北海道の無線発祥の地

1908(明治41)年、北米航路の要衝として船舶や航空機と無線電信を行うため設置された。千島・樺太(サハリン)・カムチャツカの陸上局(電信局・郵便局)とも固定通信業務を行っていた。業務内容は公衆電報・遭難通信・気象通報・航行警報および報時通信など。開設当初は落石岬側にあったが、1923(大正12)年に現在の場所に移設されている。1929(昭和4)年には、世界一周中のドイツの飛行船ツエペリン伯号の無線を受信。またアメリカのリンドバーグがシリウス号で、1931(昭和6年)に北太平洋横断飛行を行った時も、無線の誘導により濃霧の中を根室港に着水するという出来事があった。いずれも困難な状況の中、歴史に残る偉業として今も語られている。また1945(昭和20)年、旧ソ連軍(ロシア)の択捉島侵攻の無線電信の第一報を受信するなど、逸話は多い。
施設は1966(昭和41)年、札幌中央電報局に統合されることとなり、半世紀を越えるこの地での業務を終えた。その後、荒れていた建物を、銅版画家の池田良二・武蔵野美術大学教授が1985(昭和60)年より改修を続け、スタジオ(仕事場)として利用している。

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開設初期の頃旧無線局記念碑大正時代の道内回線図
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※現在でもほかに、アンテナ塔の基礎と塔を固定するワイヤーの基礎などが残っている。

施設の全容
90m高のアンテナ塔をはじめとする5基の鉄塔群、居住棟が5棟・格納庫・共同浴場・テニスコートなど。居住区となっていた落石宿舎では職員の家族を含めて50人前後が生活していたといわれる。