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2011年04月06日

輝かりし、おちいし

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1965(昭和40)年前後の落石駅には駅員がいて、駅前に漁協の事務所が、それに灯台守りのいた落石岬灯台に無線局と営林署、それぞれに多くの人が働いていた。町にはたくさんの商店や酒屋、食堂に居酒屋、旅館、民宿、理髪店まであって活気があり、北洋サケ・マスの漁期、港に船が溢れていた。山吹色に塗られた中型漁船には1隻あたり約20人が乗り組み、落石港だけで10隻以上、それだけで約200人の漁船員になる。すべてに人力が必要でサケ・マスの荷揚げ作業、昆布干しをする「岡周り」という人たちや、また定置網漁の食事をつくる「飯炊きさん」まで。石川、富山をはじめ青森、函館などから多くの人が仕事に来ていた。毎年、最盛期になると1000?1500人の人が落石にいたといわれる。当時、小・中学校に約300人位の子供がいた。運動会やお盆、お祭りも賑やかで、今でもいい想い出として残っている。

kurashi002.jpg(話し:浜辺洋一  1942(昭和17)年、落石生まれ。父は落石無線局に勤務していた)

以前、駅前に漁業協同組合の事務所があり当時の木造倉庫が残っている。現在の漁協敷地内にある石碑(表功碑)もそこにあった。保線区や国鉄官舎(駅員・保線区)もあり、酒屋、商店を兼ねた駅前旅館もあった。現在の駅舎は国鉄時代末期?JR北海道発足初期に改築されたもので、建物の半分以上が減築(事務室部分)されている。
ほかにも営林署の事務所・官舎があり、林業が営まれ製材所まであった。

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