2009年04月12日
浜松八幡神社
神社を守り神として集落がある。現在は年に一度9月に3日間沖止めをかけ、5集落同時に祭りをとり行っている。
【浜松八幡神社の歴史】
明治35年:東后エイが、根室よりの帰り路、西和田のあたりで子供たちがおもちゃにして遊んでいたものを譲り受け、自宅の守り神として自宅裏背面傾斜地に小祀を建てて祀った。
明治42年:東后エイに地元住民より、ご神体を部落の守護神として祀る要望がある。正式に部落のご神体として迎え、新たに小祀を建立。背臥牛八幡神社となる。
昭和9年:佐々木重朗、中野憂介らにより、社殿造営。
昭和41年:集落の名前が、背臥牛という名前から浜松となった。集落の後ろが松の木で、前が浜だったため、当時の町会長中野勇八郎(中野さんの親)が浜松という名前をつけた。同時に、背臥牛八幡神社を浜松八幡神社と改名。
昭和48年9月3日:根室地方まれに見る暴風雨のため、土砂崩れがおこり、神社は崩壊したが、住民に被害は及ばず、御神体も壊れなかった。
昭和49年:浜松八幡神社再建。現在の場所に移転。
【浜松八幡神社にまつわる話】
・御神体の姿
御神体の姿を「見せるものでもないし、見るものでもない」と、部落で見た人は誰もいない。侍の形で、瀬戸か木でできているという話もある。
・御神体の夢
浜辺浅次郎がご神体の足が折れているという夢を見る。根室の金毘羅神社の前田氏に確認をしてもらうと、本当に折れており、祭りの前に修復を行った。