開店当初は岸壁のすぐ横にあり、祖母フミさんが店を切り盛り。落石で見るお日様がキレイだったので、店の名は「太陽」とした。港に出入りするたくさんの漁師さんが、作業の合間に食べに来ていたそうで、今でも昔ながら味を変えずに営業。またご主人の窪田次也さんは、『太陽潜水』という潜水業をしていて、地元を中心に急な船舶のトラブルなどに対応している。
まだ落石に港(昭和27年起工)ができる前、砂浜が続き冬に打ち寄せる流氷が、美しい自然の風景を見せていたこの頃、日用品だけでなくお焼きや駄菓子などを量り売りする商店として開店した。店はご主人の新濱悟さんと切り盛り。30から40年前は「店にリュックを預けて岬まで歩いていたのんびりとした時代もあった」と奥さんの新濱百合子さん。今でも、朝陽と夕陽だけは当時と同じ美しさを見せてくれている。
「北洋サケ・マスが全盛期だった頃、港は漁船と船員で溢れていてね。商店も15から16軒、食堂・居酒屋・スナックと、活気のあるにぎやかな町だったのよ」とご主人の井上薫さんと奥さんの裕子さん。今でも地域の店というのは変わらないが、この頃は海で何日も操業する漁船への仕込み店として、5人で切り盛りしていたほど忙しかったという。
地元のおなじみさんが仕事の合間に来店する。営業開始が早いのも漁師町ならではのことと、島田みきさん。
ここに勤務する橋孝博さんはスタンドでの給油のほか、船に重油を給油する港町ならではの仕事をしている。ここ落石出身で子供の頃は旧無線局が仲間と遊ぶ時の秘密基地だった。「何もないところだけど花や動物、自然は豊かですよ。」と笑顔で迎えてくれる。地元の人は、釣りや外浜でサーフィンしたりと、それぞれの楽しみ方があるという。
※橋さんのほかに浜松地区出身の中島順哉さんも勤務。スタンド給油担当。
ちょうど車が増え始めた昭和40年代始め、親戚に誘われ、隣町浜中から自動車整備工場のない落石に店を構えた。漁師さんがその日の仕事を終える午後に修理を頼まれることが多いので、作業も夜8時ころまで続くことも。地元のトラックのほとんどを整備しているほか、曲がったイカリの修繕など鉄工所の役割も果たす。地元の漁業とは切っても切れない関係だ。それに観光で来た車のパンクや故障の修理も頼まれることがあると、会長の上野陽三さんはいう。